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漢字んな話2

ひとつ上いく漢字入門 落語で100話。

「おわりに」から一部抜粋

 8月、肌を焦がす眩(まばゆ)い太陽の下、山や海に遊び、見知らぬ町を旅し、僕たちはわずかばかりの休暇を楽しみ、夏の思い出をつくる。しかし、と思うのだ。6日・広島原爆忌、9日・長崎原爆忌、12日・日航機墜落事故、15日・終戦記念日、そしてお盆。光が強ければ強いほど、その対極にある世界は、姿を鮮明にするということなのか。8月はまた、死者と向き合うときでもある。そして今年……。

 3月11日に発生した東日本大震災は、想定外の津波被害と原発事故を引き起こし、戦後日本が築いてきたはずの「安全」という価値観をも揺るがした。これは、もう自然災害ではない。自然が挑んできた「戦争」ではないのか。この8月、僕は1万5000を超える死者といまだ姿を見せぬ4000強の人たちを、改めて強く思った。

 人類の歴史は創造と破壊の繰り返しだ。新しい価値観の創造が既存の概念を壊し、あるいは既存の価値観の崩落が次の新しい価値観を紡ぎ出していく。放射線による汚染を除去し、壊滅した町が整備され復興するには、どのくらいの時を必要とするのか。先の見えない中で、それでもその先にある淡い一条の光を信じ、再生への一歩とする。その一歩から新しい価値観は創造されるのか。その答えは、まだない。

 恐らくこうした創造と破壊を繰り返して、漢字もまた3000年を超す歴史を生きてきた。甲骨文字から、いや、たぶんその前に存在していただろう未知の文字群から、数々の歴史の洗礼を受けて現在僕たちが使っている漢字へと変化してきた。にもかかわらず、僕たちは時代が生み出してきた漢字の変化をつぶさに目にすることは出来ない。甲骨文字や金文が発掘され、これが漢字の祖先であると科学的に立証されたのは、19世紀後半以降のことにすぎない。それでもなお、漢字は科学的根拠の及ばない想像の世界に満ちている。

 

2011年夏 東日本大震災の復興を祈りつつ