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漢字んな話
漢字のウンチク落語で100話。読んで笑って漢字がわかる。
「はじめに」から一部抜粋
夏空にモクモクそびえ立つ入道雲、耳の中で花火が炸裂したようにジリジリと蝉が鳴き交う裏山。僕はランニングに半ズボン、ゴムサンダル姿で、虫取り網を持って裏山探検に出かけた。頭のてっぺんから汗を流し、あちこち蚊に食われ、蝉におしっこをかけられ、オオカマキリに睨み付けられ、長いアリの行列に見とれていた。
いつの間にか辺りは暗くなり、昼間あれほどたくましく思えた木々が、黒服の魔術師に姿を変えていた。僕は急に心細くなり、半べそをかきながら、それでも虫取り網だけはしっかり手に握って家に帰った。家の玄関には、遅い帰りを心配していた母が仁王立ちで待っていた。夕暮れの裏山よりも怖いものが、実は家にあるのだと、その時知ることになった。昭和30年代半ば、まだ緑あふれる横浜の夏だった。
「山笑う」という春の季語を知ったのは、高校時代だった。新緑の季節を指すその言葉を、僕はなぜか、つい最近まで夏の季語だと思っていた。緑で覆われた木々が、ゆさゆさ風にそよぐ。その下で多くの命が活動している。そんな夏の生命力を「山笑う」と言うのだろうと。しかしその勘違いは、子どものころの思い出と強く絡み合い、何ともユーモラスな言葉を生み出した日本人の心の豊かさと、言葉の力を、僕に意識させた。大学を卒業し、僕は朝日新聞の校閲記者になっていた。
2004年12月、僕はソウルにいた。東アジアの漢字事情を取材するためだ。ハングル表記の街で、ふと小さな花屋さんに目がとまった。その看板に「花」という漢字が、丸い輪の中に笑っているようにデザインされていた。「山笑う」ならぬ「花笑う」だった。冬の日差しの中で、僕は漢字の持つ豊かな表情に見とれていた。
そして2007年1月、夕刊フィーチャー編集から「校閲で漢字の字源について書かないか」という話がきた。タイトルは「漢字んな話」。字源は、定説が確立していないものも多く、素人に書ける代物ではない。社外筆者を探すことにした。しかし、思うように適役が見つからぬまま、同年4月スタートの時期が迫った。「自爆」するしかない。ようやく書いたのが、連載1回目の「咲く」だった。
「なぜ、咲が口偏なのか」「なぜ笑が竹冠なのか」。そんな単純な疑問がふと浮かんだのは、子どものころに探検した裏山の思い出と「山笑う」の季語、ソウルの街の「花」のデザインが奇妙に結びついた、偶然からだった。
2009年11月3日